1995年から1997年にかけての「新世紀エヴァンゲリオン」の時はそういうメディアがいくつもあった。監督が逃げた、自己啓発セミナーだ、いや傑作だ、あのラストはハッピーエンドだ、いやバッドエンドだ……。皆がそれぞれの文脈において解釈した物語を、肯定であれ否定であれ、誰も「見る価値なし」とは切り捨てず、必死に説明しようとしていた。この作品に呼応しなくてはいけない。そのムードが多くの人々に共有されていた。
21世紀の今はどうだろう。90年代にムードを共有していた人達は随分と無口になり、ものわかりがよくなってしまったように見える。送り手が説明する内容そのままを受け止めることが、メディアとして正しいことに、ひょっとしてなってしまっているのだろうか(「疑うことを禁じる」態度はカルト宗教の常套手段だ)。
もちろんウェブ上では、多くの受け手が言葉を紡いでいる。けれども、ネットワーク上でバラバラなままのそれは、時間が経つことで「なかったこと」になりがちだ。10数年前に東京BBSで、NetNewsで、あれだけ交わされた議論を、引用する人はもはや一人もいない。旧「エヴァ」ならメディアが継いでくれたかもしれない。しかし今、「ヱヴァ」を受け止めた人達の言葉を、もはやメディアは代弁してくれない。「ヱヴァ」を10年後から振り返る時、そこには送り手の思惑と受け手の不在しか残されていないのだ。それが正しくないことくらい、現時点で分かる。
正しいことなど存在しないのだとさんざん識っているつもりでも
それでも正しいこと、正しい意見を選びとろうとする態度をやめられないのはなぜなのか、
そんなさもしい人間を強制しようとするものが
俺の周囲を取り巻いているのなら
俺は絶対にそれに抗うべきだ。
かっこいいということは、本当にかっこいいのだ。
どうせ他人の意見を信用できないのなら
自分がおもしろいと思えるものを書くしかない。

